共依存から抜け出していく過程で
つらいこととかあるの?
また前の状態に戻らないか心配…
こんなお悩みがあるあなたに。
- 私が母娘間の共依存だと気づき、抜け出していく途中に起きたこと
- そのときにした対処法
いわゆる「離脱症状」とでもいうべきでしょうか。
今思い出しても、物理的に離れたら離れたで気持ちが揺れたり、不安なことは多かったですね〜
筆者は現在は比較的、母との距離感も良好な感じに変わってきました。
母を含めた自分の原家族について、全体的に納得しつつあります。
「もう、近くにいても大丈夫そう」と思えるようになりまして。
一番距離を置いていた時期には京都府と岡山県。かなり離れていましたが…
2023年末に実家がある京都に近い、大阪府下に引越す予定です。
- お母さんとの距離感を模索中
- 今から距離を置こうと決めている
今、まさにこういった状況にあるあなたの不安が落ち着くお手伝いになればと思い、シェアします。
【参考記事】
私の母娘関係の顛末についてはこちら
≫共依存・母娘関係が迎えた予想外の末路【体験談】
共依存を抜け出した後の話
≫母娘共依存を抜け出した後の話。「お母さん、私は冷たい娘です」
共依存を抜け出す途中で起きたこと
私は「ある意味、距離を置いた時からが本番だったかもなー」と思います。
「共依存なので、自分も自立しないといけない」
この部分が、母と距離を置いたあとになってわかってきました。
ただ、母と離れたい一心の時には見えなかったなぁと。ひとつずつふりかえってみます。
心配させようとする、してしまう自分に気づく
共依存のひとつの特徴として、私の場合は母からの過干渉がありました。
しかし、音信不通にしていた期間を経て、また連絡をするようになったときに気づきました。
「私、母に心配させようとしてるやん…」
愕然としました。自分には問題があると思ったなかったのかも。
電話するときに、つらいとかネガティブなことを話したくなるんです。
自分の話は適度に留めておいて、干渉が起きないようにしようと思っていたのに…
また、逆に母のことを心配しすぎていたことにも気づきました。
自分の意見がなかった期間が余りに長かったせいで、困りごとや決断するとき心細い
私は、30代半ばくらいまで自我が芽生えなかったんですよね。
なので、子供のころの価値観のままな部分が多々ありました。
かなり大人になっても怒られたりすると特に、思考が停止。
「お母さんが怒ったら機嫌を直さないと…!」
子供が「お母さんに見捨てられたら生きていけない」と思っている感じにとても似ていました。
何でも「お母さんがどう思うか、、、何て言うか、、、」という物差しで考える癖も。
いざ、物理的に何も言われない環境になっても「自分の意見がない」という状況に気づいて驚きました。
罪悪感に悩む
これは、母と距離を置く前から常に悩んでいましたけどね…
朝倉真弓さんと家族問題専門のカウンセラーで臨床心理士の、信田さよ子さんの書籍『逃げたい娘、諦めない母』に次のような部分があります。
母との関係に悩む娘の話を聞いていると、必ずといっていいほど出てくるのが「母が弱さを見せたときに強い罪悪感にさいなまれる」という感情です。娘が大人になればなるほど、母は年を取っていくもの。その過程で母の心身が弱っていくのを感じ取った瞬間、弱らせたのは自分なのではないかという自責の念に駆られる人が多いようです。
(『逃げたい娘、諦めない母』より)
本当に罪悪感は大きかったです。
「どこかが痛い」みたいな話。
今では、母はただの近況として言っているだけと分かるんですが。
距離を置くようになった当初は、まだまだ母の困りごとに対して「私が何とかしてあげないと」と背負ってしまうのが抜けず、つらかったです。
母との共依存から抜け出すとき、困ったらこう対処した
それでは、先ほどの挙げた3つの項目についてどういう対処をしたかまとめておきます。
心配はさせないし、自分もしない(自分からも相手の手を離す)
特に、自分の現在進行形な悩みは、あまり話さないように意識しました。
あくまでも境界を崩さないよう意識していました。
すると…あくまでも私の場合は、ですが。
母も、私から精神的に距離を置くようになっていきました。
私が心配しようとすると「心配しないでほしい」と言い出したんです。
そして私にもある時期から「あんたはいつも、何かあっても結局は大丈夫な結果になってるから。今度もうまくやってね」と言うようになりました。
これってつまり「信じてる」ってことです。
昔は「あんたは信用できない!!」というのが口癖だったので、最初に聞いたときは驚きました。
視野を広げる努力をした。困りごとや決断は友人や目上の人、専門家に相談
「自分の意見を持つ」ということが、真剣にわからなかったです。
下記のような本も読んだりしたなぁ。懐かしいです。
離婚やその後の生活も、変わるきっかけになりました。
ちゃんと自分で考え、後悔しないように行動できるようになりました。
初めは自分が取ろうとしている行動が「合っているのか間違っているのか」迷いました。
「間違ってたらどうしよう…!!」とも思ったんですが。
でも、だんだん「間違えたら、またうまくいく方法を探す」だけ…と割り切れました。
お母さんにどう思われるかじゃなく、自分で物ごとを決められるのはそれくらい充実感がありました。
それから、「何でも自分で解決しないと…!」と苦しくなっていたのも変わっていきました。
人も自分も信じられないので、誰かに相談すること自体がなかなかできなかったんですけどね。
やっぱり人ってひとりでは生きられないんだなと。
発達障害があって、かなり自閉傾向が強いので今でも孤独になりがちなのは変わりません。
少しずつ、困ったことや決断をするときは友人を頼ったり、専門家に相談したりできるようになっています。
知識を取り入れて、罪悪感から自分を切り離す努力をした
先ほどもご紹介した本。
朝倉さんの母娘の関係に悩む女性の小説。
セクションごとにポイントとなることを信田さんによって解説されています。
私はまだまだ母との距離感が揺れていた時期に、本当に支えになりました。
境界をきちんと引くこと、罪悪感から抜け出していくための考え方も丁寧に説明されています。
今、あなたが不安だとしたら、足元を照らす明かりになってくれるかもしれません。
他にも、アドラー心理学の「課題の分離」なども役立ちました。
母と自分の問題を切り離せずに、背負ってしまいがちだったのがずいぶん楽になりました。
初めは「母の問題は母が解決すべき」なんて思えなかったんですが…でも、あるときに気づきました。
私が罪悪感から母を慰めたりしたところで喜んでないし、ずっと同じこと言ってるなぁって(笑)
こういった知識を取り入れたり、ときにはくじたりもしつつ、ぼちぼちいい距離感が見つかっていきました。
共依存から抜け出すとき、母と自分をナイフで切り離した感じがあった
なんか、最初はすっかり皮膚まで母とくっついてる感じがしていました。
どうにも自分の人生を生きている実感が持てない。
そのことに耐えきれなくなり、「共依存だと気づいた私が切り離すんだ」と心に決めました。
鋭いナイフを手に、繋がった皮膚もろともザクザクと切り離す思いでした。必死でした。
血もダラダラ流れたまま、小さな小さな舟ですごく広い海にたったひとりでこき出す。
そんな心許ない心境でした。
ま、実際音信不通にしていたとき、実家から逃れたい一心で何のゆかりもない岡山県まで行ってしまったので、事実「たったひとり」だったわけなんですけど。
でも、傷口から流れる血は温かい。
そのことに誰のものでもない自分の人生を生きている実感を持ちました。
最初は怖くてたまらなかった失敗も、だんだん笑えるようになりました。
同じように、何度失敗しても挑戦する人とのご縁もでき始めました。
今でも、母が言ったことやしたこと全てを消化できたわけではないです。
でも「母がああ言った、こうしたはもういい。私は自分で幸せになろう」と思えてきました。
母との共依存から抜け出そうとして心細かったあのころより、もう一段上の意味で母から離れようとしているのかもしれません。
母との共依存の顛末の記事(『共依存・母娘関係が迎えた予想外の末路【体験談】』)にも書いたんですけど…
家族の関係がどう着地するかは、家族の数だけ答えがあると思います。
あなたとお母さんの関係がどういうふうになるかも、誰にもわかりません。
あなたが周りの人の助けも借りながら、少しずついい距離感を見つけられますように祈っています。