お母さんを複雑な表情で思い出している娘の画像とテキスト:共依存 解決じゃなく「落とし所」

共依存・母娘関係が迎えた予想外の末路【体験談】

この記事を読みに来てくださったあなたは、母娘関係に悩んでおられるのでしょうか。

プライバシーまで立ち入ってこられるのは、本当につらいですよね。
お母さんが「あなたのためを思って」と言ってくるなら尚更、伝え方も難しい。

今回は「色々あったけど、ここらが落とし所かな」という段階になった私、陽子家の母娘問題の体験談をお届けします。

母→私:過干渉
私→母:頼りすぎ、心配させようとする。母の意見を聞かないと行動できない

といった共依存関係がどう変わったかをお話。

家族は本当に十人十色です。

あなたが最終的にお母さんとどういう関わりをするようになるか。
それは誰にも分からないし、正解もないと思います。

しかし、今もし深刻に悩んでいるのだとしても

「こういう考え方もあるんだ(ここまで軽く考えられるようになる人もいるんだ)」

と思って少しでも心が軽くなってもらえれば幸いです。

【参考記事】
共依存を抜け出していく途中の様子
≫母娘間の共依存から抜け出す時に起きたこと。こう対処した【体験談】
共依存を抜け出した後のこと
≫母娘共依存を抜け出した後の話。「お母さん、私は冷たい娘です」

母娘間で一生鬼ごっこすることにした

母とは、特別仲良くはなっておりません(笑)
私は、今でも物心両面で距離感を重視しています。

物理的には、実家から2時間程度かかる場所に住んでいます。

精神的には、母に頼らないようにして「あ、立ち入ってきそうだな」と感じたら、さっと距離を空ける。

母も距離感のことは、薄々理解していることでしょう。
それでも全く悪気なく、私がギョッとすることを言い出すことがあるんですよね…

以前は、その度に恐怖を感じて体調を崩してました。

でもつい最近、こう思い至ったんです。

「一生母と鬼ごっこしとくか〜」

と。

ギョッとする場面では、恐怖を感じ始めたら運動会の徒競走の曲を脳内で再生(笑)
そうすると、笑いに変えられます。

ちょっと気持ちが軽くなったところで、母の干渉をさっとかわしています。

そういう捉え方ができるようになったのはたぶん、自分の道(スピリチュアル・文章・編み物など)が決まったからだと思います。

自分の心身魂の支柱になるものが定まり

「もう昔の自分じゃない。結局母のことも自分次第、楽しく過ごしてたら気にならないはず」

と思える段階に至りました。

こんな感じで、陽子家の母娘問題は解決していません。

でも、一生縮まらない距離があっても…

「ちょうどいい距離感を保つことで、困った時には自然に助け合う」

適度な付き合いができるようになってきました。

最近は感謝の気持ちも深まってきました。

お互いが一心同体のようになっている超依存的な関係から、

「それぞれ考えも生き方も違う、別々の人間だ」
「私が心配しなくてもあの子は(母は)うまくやっていく」

とフラットな感じになってきたと思います。

予想外の結末。
でも「ここまでギャグにしたり、フラットになれた。私、よくやったかもな」と思っています。

三世代の機能不全家族

陽子家は下図のような三世代家族です。
祖父母は、私が結婚して数年後に他界しました。
陽子家家系図と相関図

若かりし頃の祖父は大工やトラック運転手。
元特攻隊員で筋肉ムキムキでした。

気性も荒く、特には家族に暴力を振るうことも。

祖母は外で働くのが好きで有能だったようです。
でも何せ「女は家にいろ」って時代ですよね…思うように社会進出はできず。

家事は苦手。家のことに関しては、長女である母に頼りきりでした。

子ども時代から、母は長女というよりは長男のよう。
高圧的な祖父と激しく対立、祖母や叔母(妹)たちを守る役割をしていました。

結婚後、母は専業主婦に。
父のことが気に入らない祖父母はつらくあたりました。

そんな父と祖父母の間で板挟みになる上に、ワンオペ家事・育児。

育児に疲れたお母さんの写真

母は本当にしんどかっただろうと思います。

当時の母は何でも完璧な女性で。私にとって、鬼みたいに大きくて怖い存在でしたね〜…

私はというと、小さい頃から内気で外で遊ぶことはもちろん、外出自体が嫌い。
神経が繊細で、家でひとり遊びしてるときが一番安心。

母とはもう、お互い一体化してるかのような依存関係。

思春期に芽生えるはずの自我は30代になるまで眠ったまま。
何かにつけて母の意見を聞かないと行動できませんでした。

今なら迷わず「いくら親子でもそこまで立ち入る必要ないでしょ」と言ってしまうような、すごい干渉もありました。

でも当時は、されるがままの日々でしたね〜…

元は繊細さも顕著。
でも、当時は感情も色々なことを感じる力も、どことなく鈍かったです。

そうしていたから、28歳になるまで精神が持ちこたえたんだと思います。

精神疾患と自我の芽生え…そして7年にもわたる失踪の末に

ところが…!
結婚後(20代後半)、精神や婦人科系など病気のオンパレードになったことが大きな転機になりました。

うつ病が寛解してくる段階で、20年遅れで自他の境界や自我が出てきたのです…!

(今だから言える「やったー!!万歳!!!」)

固く眠ったままだった種の殻を突き破り、猛烈な勢いで「私」が出てきた。

この時期に、はっきりと視界の色が変わったのを覚えています。
ぼんやりとしたモノトーンに近い色から、超極彩色に変わってしばらく目がくらむような思いでした。

大爆発のイメージ

そして、凄まじい葛藤が始まりました。

自分の女性という性に嫌悪感を感じたり(もしや、思春期に感じるはずだった?)…

「もう、絶対に思い通りにならねぇぇぇ!!!」とブチ切れ、母を激しく拒絶するようになりました。

やがて京都市内の実家近くに借りていた家から、無断で大阪に引っ越し。
(引っ越し後に、元夫が一人で両親に報告しに行ってくれました)

夫婦別居する頃には完全な音信不通に。

いよいよ離婚…という段階になるまで居場所も知らせず。
実家には7年もの間、帰りませんでした。

家族と再び向き合い始めたきっかけは離婚

大阪へ移った後、しばらくして夫婦別居することに。
岡山や大阪…色んな所を点々としました。

当初は「故郷も家族も忘れたい、全部捨ててやる!!」とイキがって出て行ったものです。
でもまぁ、やっぱり忘れられず(笑)

他の土地に行ってごはんを食べれば、京都の味を思い出す。
いつしか楽しかった家族の思い出ばっかりが浮かんでくるようになって…

泣きながらごはんを食べる女性のイラスト

知り合いもいない土地で過ごした孤独な日々。
確かに、離婚して1人で暮らしていくのに必要な精神的自立は進みました。

一方「人って、一人で生きるのは無理なんだ」と全身全霊で納得もしましたね…

やがて、私の頭の中には、静かにシンプルな3文字が浮かびました。

……「帰ろう」……

心からそう思いました。

そして、勇気を出して両親に電話をしました。
無断で京都から引っ越してから、10年近く経っていました。

長年の「辛く寂しかった気持ち」を成仏させるために気持ちをぶつけた

両親と再会し、これまで音信不通だったことを謝った後

「お母さんが、私を思い通りにしようとしたのが本当に嫌だった」
「なぜもっとほめてくれなかったの??」
「お父さんには、もっと大事なことを相談に乗ってほしかったのに(なのにいつも病気だったり、家にいなかった)」

といった、本音を何回かに分けてぶつけました。

話しながら、涙と鼻水が出る出る。
あっという間にティッシュの山ができました。

「人ってのは、本当の本音を話すとこうなるのか」と(笑)

ティッシュのゴミ山の画像

両親がどういう反応をしようと関係ない、と思っていました。

「両親を責めてやる!謝って欲しい!」というのではなく

「子どものころからずっと寂しく辛かった自分の思いを成仏させたい」

という一心でした。

インナーチャイルドを助けてあげるというのかな。

「自分が生まれたことなんか、誰も喜んでない」
「誰にも愛されてない」

こういった気持ちは、勇気を出して気持ちをぶつけたことで消えていきました。

全てを伝えられたわけじゃないけど、やってよかったです。

また、それ以来両親も変わっていきました。
彼らもまた、私に対する深い後悔や「なぜ??」という絶望感から解放されたのかもしれません。

老夫婦のイラスト

母の昔の口グセは「あんたのことは信用できない!!!」だったのに…
「あんたなら大丈夫。うまくやってね」と言うようになって。ビックリしました。

「重たいエネルギーを感じる種類の心配」をしてこなくなったんですよね。
軽快で健全な関係になってきたと思う。

2021年頃からは、一段と安心したようでした。
私が離婚して生活保護になり、経済的な心配がいらなくなったからです。

同じ時期に発達障害と診断されたことも大きかったです。
長年の「なぜこの子は〇〇できないの??」が解消したそうです。

両親は以前より健康になり、趣味を楽しんでいます。

祖父母が生きていた頃には鬼みたいに怖かった母。
今では適度に忘れっぽくて、いつもニコニコしているおばあちゃんになりました(笑)

母娘それぞれの答えがある

冒頭にも書いたけれど、母娘問題に関してはそれぞれの答えがあると思っています。

何がいい、何がダメとも言えません。
自分の気持ちを親に言えたとしても反応もそれぞれです。

ハテナの画像

私がこれまで聞いた中には、母がブチ切れたり泣くパターンも結構ありました。

そもそも「解決」などというほど単純な問題じゃないんですよね。

私には、自分の体験談を一例として話すくらいしかできません。
そこで最後に、共依存をはじめとする家族問題のエキスパート・信田さよ子さんの言葉をお届けして締めくくります。

本来娘は--というより子供はすべて--親に負い目を感じる必要などありません。

無事に生まれ、親に子育ての楽しみを与えただけで親孝行は完了しています。
あなたの親孝行は、もうすでに済んでいます。

『逃げたい娘 諦めない母』(信田さよ子 朝倉真弓著/幻冬社)より

お互い、焦らずに「誰のものでもない自分の人生」を生きられるようになっていきましょう。