左側には虹色のまつ毛をもつ目の周りにハテナマークや色々なジェンダーのマークを配置しました。右には緑の背景に白字で"『Xジェンダーって何?』読書感想文と自分の性の歩整理してみた”という文字が配置されています。アイキャッチ画像です。

『Xジェンダーって何?』読書感想文。「わからない」に落ち着いた私の性自認

性については、幼少期から心の面で色々と紆余曲折ありましてねぇ。

今回はちょっと自分の頭の中を整理しておこうかなと。

今回ご紹介する『Xジェンダーって何?』という本。
読んでみて「(男性か女性か第3の性か)わからない」に落ち着いたんですよね。

ついでに性自認や性表現について、幼少期〜現在の自分のあゆみも整理しました。

『Xジェンダーって何?』読書感想文

本が積み上げられているイラストです

概要

様々な角度からXジェンダーについて書かれています。

  • Xジェンダーとは何か
  • Xジェンダーという存在(考え方)がどうやって認知され、広まったか
  • 精神科医から見た「Xジェンダーとは」
  • Xジェンダーの日常における課題
  • Xジェンダーが社会で生きていく上での現状
  • Xジェンダーとその他の性別異和を抱える人々
  • Xジェンダー当事者へのインタビュー、対談

2016年に初版が出されたとのこと。

Amazonで探してみた限りでは、いまだに日本で出版された本で、ここまで詳しくXジェンダーに特化して書いている本はないのではと思います。

体験談やインタビューなど個人的な視点で書かれた本は見つかりました。
でも、この本は、バランスよく色んな観点からXジェンダーを解説しています。

Xジェンダーの全体像がわかる事典的な本です。

感想文

感想の前に、この先の話に使用する基本的な用語を整理しておきます。

  • 性自認…体の性別とは関係なく「自分は男性である(女性である)」など自分が持っている性別の認識。
  • 性指向…どの性別を恋愛や結婚の対象とするかという個々人が持っている認識。
  • 性表現…見た目、言葉遣い、服装などで表す性。社会的な性別ともいえる。
  • 性別違和…かつて「性同一性障害」とされていたが2015年、この疾患名に変更された。
  • Xジェンダー…「心と体の性が一致せず、かつ、男女どちらか片方のみに属した性自認を持たない人」(本書より引用)
  • シスジェンダー…心と体の性が一致している人
  • トランスジェンダー…”「体の性別(Sex)」と性別に対する自己意識あるいは自己認知「心の性別(Gender Indentity)」が一致しない状態のこと”(本書より引用)

※Xジェンダーの中には、さらに「両性(男でも女でもある)、中性(男と女の中間)、無性(当てはまる性別がない)、不定性(その時々で揺れ動く)、その他(左記どれにも当てはまらない)」というカテゴリがあります。

全体を読んだ感想としては、少し難解な部分もありました。

私はもともとは活字アレルギーでして。
本を読み慣れていない上に、短期記憶も弱め。

アルファベットの用語について「…これどういう意味だっけ?」ってことも何回か。

ページ(左側のページ)の左端に書かれている注釈に説明がされているのを見返しつつ、読み進めました。

文章が難解だと感じる理由はもうひとつ。

性自認は「感覚的なもの」。
様々な解釈や感じ方を持つ当事者に配慮した説明に、紙面が多く割かれてるように感じました。

例えば、具体的には「カテゴリ分け」についての意図を説明する部分。

カテゴリ分けすることで「この人は中性だからこうなんだ」と相手のカテゴリをきいただけで、その人のことを知ったような気分になってしまう人がいることを心配する当事者もいますが、この五つのカテゴリは、よくXジェンダーの間で見かける大雑把に分けた際の分類ですので、Xジェンダー一人ひとりが、添えときはあるはずぞれ感じている性自認の個体差は含めていませんし、言うまでもなく、Xジェンダー全ての人々の細かい特性までは網羅していません。(本文より)

あくまでも「どれかに決めるべきだ(枠組みに当てはめる)」といった意図はない、ということも説明されています。

性に対するとらえかたについて、しばしば「デリケートな問題である」といわれます。

「ああ、そうか。こういうところなのかもなぁ…」と思いました。

ところで、この本で一番衝撃を受けたこと。
それは「他人の性自認やその結論にたどり着いたあゆみを批判する人がいる」ということです。

白いTシャツ姿でPCの前で考え事をしている私の写真です

文中に、当初はトランスジェンダーだと思って自分の思う身体の治療や戸籍の変更をした当事者の例が出てきました。

その後、変更後の性別で社会生活を送ったり、本来の自分らしい生き方を考えた末「やっぱり自分はXジェンダーだ」という結論になったとのこと。

「そこまで治療や戸籍変更までしておいて今更何を言っているんだ」や「なぜもっと身体的な治療を開始する前に性自認をしっかり見極めなかったんだ」とまるで身体の治療を望むことが性同一性障害の当事者だけだと言わんばかりに、社会だけでなく、性同一性障害の当事者たちからも糾弾される羽目に陥るのです。(本文より)

「自分が納得する結論に至るまでの道のりを、他の誰かが判断したり批判できるものではないはずなのに…」と悲しくなりました。

先ほども書いたんですが、性自認はあくまでも感覚的なもの。

「自分がどう認識してるか」で決まるもの。
それを他の人に怒られることがあるとはシンプルに驚きでした。

また、Xジェンダーの「女性と男性どちらともはっきりしない」という感覚。
カミングアウトをしても周りの人を混乱させ、敬遠されることもある…という部分を読んだときにも「自分らしさを表現するって、こんなに難しいことなんだ」とため息が出てしまいました。

私の性自認を整理してみる

  • 性自認:わからない(クエスチョニングまたはXジェンダーの”その他”)
  • 性指向:男性
  • 性表現:基本的には「女性扱い”で”OK」

線分図です。左端が女性、真ん中が中性、右端が男性。女性より少し右側のポイントと中性より少し右側のポイントを結んだところに赤の矢印で私のセクシュアリティを示しました

心の中で持ってる感覚としては、上の線分図のような感じですかね。
完全な女性ではないけど、男性になりたいとは思わないんです。

妊娠や出産は他人ごとのよう。
だから結婚してたとき5年目くらいまでの「そろそろ子どもを…」みたいな空気感を周りから感じる時期。

「全くピンと来ない自分って、人間として何かが欠け落ちてるのかも…」と自分を責めてました。

何かの拍子に、ふと自分の男性的なところを感じることもあります。

一般的に女性の特徴とされるような、物静かで柔らかい雰囲気の男性と気づけばパートナーになってて。ガンガン引っ張ったり、物ごとを決めてるのは自分です。

ひとりでいるときは「どの性別でもない(性別とか気にしない)」感じでいられて心地いい。

シスジェンダーの女性ばかりの集まりは、苦手。
何だか「異質な存在である自分が紛れ込んでる感」があります。

ドレスを着た女性3人組。片手にはワイングラスを持っています。

Xジェンダーの中には、制服に抵抗感を抱くなど「どちらかの性に決められるのが苦痛」というかたもおられますよね。

一方、私は「女性扱い”で”いいよ」というタイプです。
好きな男性に女性として大切にされると嬉しいし。

でも心の面でね〜
どっちかにしないといけないとか言われると困るかもです。

例えばこういうことです。

キャンプとか行って「女性は料理、男性は釣りしてくださいねー」とかいわれるのは抵抗なし。

でも…こういうことは滅多にないのかもしれませんが、最近「いやぁ困った」と思う場面がありまして。

そのときに「あぁ、私やっぱりシスジェンダーじゃないわ」と決定的なものを感じました。

以前参加したお話会でのこと。
主催者さんが、最近参加したスピリチュアル系のイベントの報告をされてたんですよ。

「あるものに参加者全員でエネルギーを入れる」という内容で、男女に分かれてそれぞれの役割をする…というものでした。

「私どっちにも参加できない」というのが真っ先に出てきて。
ひとりで密かに「こういう場面になったら自分はどうしたらいいんやろ…」一瞬追い詰められたような気持ちになった。

キャンプの例みたいな物理的な役割なら全然平気。
でも、エネルギーとかそういう見えないものって根源的。ごまかしがきかないのでねぇ。

正直いうと、「クエスチョニング(もしくはXジェンダーの「その他」)」と思い始めて以来、恋愛も心配。今まで何も考えてなかったけど、セックスもエネルギーの交流ですからねぇ…混乱しないかちょっと心配してます。

先ほど書いた感想のところにも「Xジェンダーとカミングアウトすると、周りの人に混乱をきたし敬遠される場合も」っていうのがありました。

将来のパートナーには説明するべきかな、するとしたら何て説明したらいいんだろ…
どういう扱いをされたいか、はっきりさせないといけないなと思っています。

私の性自認と性表現の歴史

山に分かれ道があるイラストです。岐路のところに矢印が書かれた看板があります

性自認や性表現に関して、紆余曲折を経てはきたんですが…

でも、生きづらさのほうがはるかに深刻でして。
それを何とかすることのほうが絶対に必要だった。

性自認や性表現は「女性”で”いいよ」という具合で、特に社会生活で不便もなく。
なので、違和感を覚える場面はあったかもしれないけど何となく通り過ぎてきました。

どちらかというと「自分がしたい性表現ができない苦しさ」っていうのがメインの道のりです。

幼少期:抑圧された「女の子らしい服装や髪型に対する憧れ」

小さい頃、なぜか母は私に、男の子っぽい格好をさせることが多かったんです。

髪は短いのが似合うし、ズボンの方が似合う、みたいな。
実際男の子に間違われることも多々ありました。

でも本当は髪も伸ばしたかったし、ピンクとか花柄、フリルに猛烈に憧れてました。

幼稚園や小学校のクラスメイトの、フリルいっぱいの服や持ち物を見るたびにめちゃくちゃ羨ましかった。

見てくださいよ、この写真(笑)

母お手製のサンドレスを着ている私の写真。仏頂面で目だけ横を向いてます。

家族で海に行ったとき、夜に外で撮影した写真なんですが。

着ているのは母お手製のサンドレスです。

何でこんな不満げな顔しているかと言いますと…(笑)
「海行くとき、ドレスつくったげる」と言われたときに、イメージしたのが↓これだったから。

ピンクのドレスに身を包んで軽く右を向いている女性の写真。全身ではなく、太ももから上部分の像です。

「海行くのに何でこれやねーん!」と思いますよ、今ならね。
でももうほんとに憧れてたんですよ、こういう可愛い服に!!

だから、出来上がったもの見たとき

母のお手製のサンドレスを着て写っている写真の顔部分です。すごく不満そうです笑

(これじゃない…でも言えない…)てなりましたよね…(笑)

私の中では、ドレスといえば「フワッとしたプリンセスライン」。
あまりの期待の大きさだっただけに失望もすごかった…なんていう事件がありました。

もう少し大きくなると、劣等感とかも手伝って「自分が女の子っぽいかわいい格好をしても、キモいんだ」という思い込みが染み付いてしまいました。

実際、小学校高学年のときに男子がやっていた「クラスでかわいい女の子ランキング」みたいなのでは最後から3番目。

かわいくしたいとかそういうの、諦めちゃったんでしょうね。
外から見てもブサイク認定される見た目になってしまってましたね〜

「スウェットのズボンにラクダ色のセーター」というおっさんみたいな格好をするようになり。

親戚のおばちゃんが母に「陽子ちゃん、もうちょっと何とかしてあげてよ」と言うほど。

このころのことを思い出すと、かわいそうなような、愛おしいような気持ちになりますねぇ。

思春期〜大学生:続く抑圧、そして高校デビュー

メガネの女子中学生のイラストです。困った顔をしています。

高校の途中までは、まだまだ幼少期からの抑圧を引きずってました。

かわいい服装に憧れてるのに「自分がそんな格好したらキモい」。
いや、なんならいつの間にか服と関係なしに「私はブサイクでキモい」みたいになっちゃってましたねぇ。

メガネだったのもずっとコンプレックスでした。
中学で「メガネザル」っていうあだ名で呼ばれたりとかさ。

なんかひどいですよね、小学校の頃の「かわいい女子ランキング」とかにせよ、メガネザルにせよ。

「うちの陽子になんてこと言うねん!!」みたいな親目線の腹立だしさが湧き上がってきます(笑)

でもやっぱり「かわいくなりたい」はずっとあったんでしょうね。

それがちょっと弾けかけたきっかけは、コンタクトレンズ。
学校行ってる時代ってメガネかコンタクトかだけで、人の評価がえらく変わるんですよね…(笑)

別に性格は変わらないし彼氏できたわけでもないので「高校デビュー」とまでは言えなかったんですが。

それでも、クラスや部活の仲間からの「お!」という反応が、ちょっとうれしかったです。

大学になると、さらに少しずつ自分の「かわいくしたい」を解放していきました。

一番最初にしたのは、ロングヘアのパーマ。

今思うとね〜長いのはやっぱりあまり似合うほうではなく。
髪質的にも短いほうが合ってるとわかりました。

でも当時はそんなの関係なかったなぁ。
自分のしたい見た目ができるってすごく大事ことだったんですよね。

ようやく少ししたいようにできた大学時代から社会人時代。
「かわいい子ランキング」で最後から3番目だった小学校時代のトラウマも、ちょっとよくなったかなと。

30代半ば〜40代:女性であることへの嫌悪感が昇華された

壁を背に笑顔を浮かべて正面を向いている私の写真です

私は母と共依存だったんですが。
母が一番干渉してきたのは恋愛についてでした。

それと劣等感も重なってか、セックスへの嫌悪感もありました。

女性としての性を楽しんで生きることが中々できない。
まだまだ、自分がしたい女性らしいファッションをするのにも罪悪感が強かったです。

でも、それは2015年〜2021年ごろまでしていた、チャットレディのお仕事でだいぶ払拭できたと思う。

いい悪いは別として、自分の容姿や「女性であること」を売る仕事だったからです。

下心120%でも、お客さんがめちゃくちゃ褒めてくれた。
おかげで「女性らしさをもっと解放していいんだ」と思えた気がします。

このお仕事のとき、性に関してボーダーレスなお客さんが来てくれることも多かったですね。

奥様に内緒で何十年も「男の娘」をしてる男性。
女性の下着着るのが好きなゲイのおじいちゃん。
バイセクシュアルの男性、女性。

みんな、私が醸してる何かしらの「同類」の空気感をしっかりキャッチしてたんでしょうね。

40代半ば〜現在:Xジェンダーという概念との出会い、自分らしさの追求

ピンク、花柄、フリルへの憧れは、つい最近終わりました。

40代になってからも、真っピンクの花柄スカート買って一回も着られずに終わったり。

家着や布団カバー、タオルなど家で使う、他人に見せない類のものは花柄とかピンクだらけだとか。

色々あったんですが、ある日「もういいな」となりまして。
「憧れが抑圧されたのはつらかったけど、もう気が済んだ。自分に似合うのは他のテイスト」と納得できた感じ。

そして、とうとう今回のXジェンダーの本に出会いました。

ファッションについて、なんとなく今は「子供服だろうがメンズだろうがレディースだろうかおばあちゃん向けのブティックに売ってる服だろうが、自分に似合うと思ったら着たい」という感覚です。

「見るからに女性らしい服装」は、コスプレしてる気分になります(笑)
嫌なのではなく、それはそれで楽しいという感覚です。

過去の自分が癒された。そして「自分らしい性の表現とは何だろう」と考えるきっかけになった

ハートを抱いて幸せそうに目を閉じている女性のイラストです

今回自分のことを書いたのは、ふたつ理由があります。

  • 自分の過去や頭の中の整理
  • セッションを検討してくださる皆さんに向けて

ひとつめは、自分の性自認について改めて丁寧に見てみた結果や今の気持ち、過去を整理しておきたかった。

特に小さいころの自分の気持ちを今の自分が見てあげられたのは、本当に良かったです。

あのとき怒れなかった小さい自分の代わりに、腹を立てたり。

「自分の味方は自分」って本当だなぁと深く納得しています。

それから、セッションを検討してくださるかたに向けてという意味もあります。

自分のことを書いておくことで同じ悩みがあるかたに「何でも話しやすい(話しても批判・否定されない)」と感じていただければと思いました。

チャットレディのときも「視えるチャットレディです」とうたってたんですけど。
そのときも今も、性のことでお悩みのかたが時々来てくださるんですよね。

私がそういうアイデンティティや歴史を持っていることは一切公表してなかったにも関わらず、です。
やっぱりお客様もこちらのエネルギーをちゃんと見てきてくださるんだなと。

私の場合、性自認は「女性扱い”で”いいよ」というスタンス。
社会生活を送る上で顕著に悩むことってなかったんですよね。

それでも長年自分らしい、したい性表現ができないしんどさを感じてきました。

今回、自分の中で「わからない(クエスチョニングまたはXジェンダーの”その他”)」と定まったこの機会に、プロフィールの一環として書いておこうと思った次第です。

LGBTQだから特別とか、そういうアンデンティティの人に優しく、とかいうのもなんか違うなと思うんですよねぇ。

でも、私も長年、自分の性についての違和感をはっきりさせないまま「男か女か」という二元論に流されてきました。

なので未だにその価値観に縛られていて、特別視しているところがないとは言えない。

今後も本を読むなどいろんなことを通して、視野を広げていきます。自分を解放することにも繋がるので。